参考記事:愚痴とクリアリングの違い

クリアリングをするとどうなるか。

先日友人とほぼ丸一日とりとめもなく
脈絡もなく、ただ感じたこと
その時湧いてきたことを言葉にして
お互いに話しては受け取りあって笑って
いただけなのですが、なんていうのでしょう
母の胎内にいたような至福感があったのです。

じゃぁまたねと帰る時、本当にすっきりして
身も心も軽くなっていることに気付きました。

特に何かを溜め込んでいたつもりもなかった
のですが、実は自分でも気づかないくらいの
小さな糸くずが残っていて、その糸くずで
1枚布が織れました的な感じでした。

もしかして、お互いにクリアリングしてたの
かなと思いました。

そう、ただ湧いてくることをそのままに
ただ言葉にしていて、受け取る方は
何も足さず何も引かずただ受け取っているだけ。

そこには解釈や評価や助言などはありません。

もちろんお互いに対する敬意や関心を持ち
二人ともクリアリングのセンスを持っていた
ことも功を奏していたかも知れませんが

ただ聴いてもらう、受け取ってもらうだけで
人って自分の中にあることに気付けるという
クリアリングのパワフルさをあらためて
強く感じたことでした。

聴きながら、もし「こうした方がいいのに」
という聴き方をしているとしたら
それはクリアリングではありません。

聴き方のポイントは、何もつけず何も引かず
そのまま聴く。理解しようなどと考えず
ただ存在を聴く。一緒にいる。

私たちは相手のために何かをしてあげたい
何か言ってあげなくちゃ、
役に立ちたいなどの思いから
つい「自分の中にある正義」からの助言をしがちです。

人が本当に望んでいるのは
自分の存在を存在としてただ認めて欲しい
ということだけだったりします。